今回は、エコツアーのガイドを担当した『浅野正敏』さんからの感想を頂きましたので、そちらを掲載致します( ´ ▽ ` )ノ
(。・ ω<)ゞ 以下、浅野正敏さんからの感想文です。
平成25年10月11日(金)に『吾野宿の町並みと古民家を訪ねる旅』というタイトルでエコツアーが行われました。
小雨の振る中、午前10時、吾野駅に8名の参加者が訪れました。
飯能市民の方以外に県外からも遠路はるばる参加してくれました。
受付を済ませると早速『法光寺』へと向かいました。
源平合戦で活躍した『岡部六弥太忠澄』の謂れを持つ寺の歴史や、これから向かう吾野宿について解説しました。
吾野宿へ入る手前、大きな岩が目に入ります。これは『弁天岩』と呼ばれ、かつて山から崩れ落ちたものと思われます。
明治47年には、吾野宿下方の『大高山(おおたかやま)』で山崩れがあり、この時に転がり落ちた大きな岩が、高麗川のあちこちに見られます。
その折り、土石流は川を堰止め、吾野宿を湖の如く浸水させました。
吾野宿の町並みは、秩父街道の馬継宿として存在し、絹や生活物資の市(いち)も盛んに行われ、賑やかな宿場町として栄えていました。
吾野宿の町並みを歩いていると、軒下を深く造り出す『出桁造り(だしげたづくり)』と言われる2階建ての建物が多く見られます。これらは、主に明治以降の建物ですが、『ツシ』と呼ばれる低い2階を持つ民家『高山家』は、元禄18年(江戸中期)に建てられたもので、かつての宿場の面影を色濃く感じさせてくれます。
また、擬洋風建築と呼ばれる『石田家』は下見板張りの外壁と縦長の上げ下げ窓が特徴です。大正時代に医者を開業した際に建てられたそうで、医院建築とも呼ばれています。
高山家
石田家
吾野宿の中で一番特徴的な建物は、長屋門造りの『大河原家(独楽の館)』です。江戸にあった武家屋敷を解体し、明治時代に移築したと云われています。太い格子や一枚板の門扉が武家の風格を現しています。
その大河原家の2階座敷へ上がって、名物の『東郷煎餅』と『吾野宿サイダー』を頂きながら、当主から家の歴史などを伺いました。
『紫藤家』は、明治7年に小学校となり、町分学校と言われました。
教育は明治政府にとって最も大切な事とされ、この地にも国の通達があったとの事です。
最後に『高山家』の中庭を拝見。そこで奥様から吾野特産のジャガイモや漬物を頂き、おもてなしの心使いにも感激致しました。
紫藤家
名産のジャガイモ
午前中の短い時間でしたが、吾野宿の温かい人情や奥深い歴史に触れ、充実したツアーとなりました。